中国の諸民族

民族
連合国の一員として参加した日本代表が第一次世界大戦後のパリ講和会議で、人種差別撤廃条項を提案するも、イギリス代表・アメリカ代表などの議長拒否権行使や全会不一致により不成立に終わっている。
渡部昇一ja.wikipedia
は、国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初であると述べている。
中華民族
中国の国籍を持つ全ての文化的集団を統合した政治的共同体を表す概念である。
現在の中国共産党などは漢族だけでなく、蒙古族、満州族、チベット族やウイグル族などの少数民族も含むとしている。例えば、中国への遠征中に亡くなった蒙古族のチンギス・ハーンは「中華民族の英雄」と中国共産党では扱われている。
中国の異民族
中国史に登場する、漢民族以外の周辺民族。長い年月の中で漢民族と同化していき、現代の漢民族の祖先が含まれる場合もある。
中国の少数民族
中華人民共和国政府が規定した、国民の92%を占める漢民族以外の少数民族政策による分類における「少数民族」。

少数民族

アチャン族 
ウズベク族 
エヴェンキ族 
オロチョン族 
回族 
カザフ族 
キルギス族 
高山族 
コーラオ族 
サラール族 
ジーヌオ族 
シェ族 
シベ族 
ジン族・キン族 
スイ族 
タイ族 
ダウール族 
チワン族 
チンポー族 
トゥ族 
トゥチャ族 
トーアン族 
トーロン族 
ドンシャン族 
トン族 
ヌー族 
ハニ族 
バオアン族 
プーラン族 
プイ族 
ペー族 
マオナン族 
ミャオ族 
ムーラオ族 
メンパ族 
ヤオ族 
ラフ族 
リー族 
リス族 
ローバ族 
ワ族 

中国の少数民族問題

中国の少数民族問題
ウイグル(ئۇيغۇر)
チベット(བོད་)
1642年-  
藏人行政中央zh.wikipedia

ガンデンポタンは、
ダライ・ラマja.wikipedia
を長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府。
1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。
1723年-1724年  
藏區分治zh.wikipedia

清朝の雍正帝が1723年 - 1724年に青海地方に出兵し、を征服した際の事後措置。
1724年-  
西藏獨立運動zh.wikipedia
1912年-1951年  
1948年-1950年  
中国人民解放軍によるチベットへの侵攻をいう。
侵攻は、チベットの東北部・東部に対して(1948-1949)・中央チベットに対して(1950-1951)の2段階で行われた。
1950年10月  
昌都戰役zh.wikipedia

中華人民共和国が、チベットとの交渉の失敗後、事実上チベット地域で独立していたチベットに対して行った戦役。
目的はチャムドにいたチベット軍を攻略し、ガンデンポタンの士気を下げ、チベットに対する中国の主権を認めさせるために北京に交渉人を送るように強力な圧力をかけることであった。
1951年5月23日  
1954-1974年
カム反乱ja.wikipedia

中国に対する東チベットのカム地方を中心とする反乱のことである。チベット動乱のきっかけとなった。その後チベットでは1974年頃まで戦闘が続き、「20年戦争」とも呼ばれる。
1956-1959年
チベット動乱ja.wikipedia

1956年にチベット動乱が起き、1959年にダライ・ラマ14世のチベット亡命政府がインドに亡命すると中国とインドは、両国の国境の解釈をめぐって対立するようになった。
1959年3月10-23日  
1951年以来中国共産党の支配下にあったチベット自治区の中心都市ラサで、1959年3月10日に反中国・反共産主義の民衆暴動が勃発したときのことであった。
この蜂起の日は、チベットの独立運動団体の多くによって、チベット蜂起記念日(チベット民族蜂起記念日)として祝われている。
1962年10月20日
-11月21日
中印国境紛争ja.wikipedia
 
中印邊境戰爭zh.wikipedia

1950年代後半より表面化した中ソ対立の影響で、ソビエト連邦はインドを支援していた。また
印パ戦争ja.wikipedia
ではパキスタンを中華人民共和国が支援しており、中ソ両国の対立が色濃く影響していた。この紛争は、インドが核兵器開発を開始するきっかけともなった。
2008年  
チベット仏教ja.wikipedia
ゲルク派ja.wikipedia
に属する者達がラサ市において、チベット独立を求めるデモをきっかけとして発生した暴動。
内モンゴル自治区
テュルク系民族

諸夏主義

諸夏主義
中国民主化と民族の対立をなくし、文化を守るためには諸夏時代のように、漢族のいくつかの国に分かれる必要がある。また、漢民族は一民族ではなく、粤民族、上海民族、閩越民族、滇民族、夜郎民族、満洲民族、晋民族、燕民族、呉越民族、巴蜀民族、湖湘民族、江淮民族、贛越民族、荊楚民族などがあるとした。
諸夏主義の考え方は
上海民族党ja.wikipedia
の設立の思想にも受け継がれた。

中国の少数民族に関する論文等
中国の少数民族について ―三つの事例―斎藤晨二
中国における少数民族政策の展開 ―雲南省を事例として―松村嘉久
《書評》中国少数民族の人類学的・社会学的研究についての一考察 ―主として何群『民族社会学和人類学応用研究』をとおして―坂部晶子
新疆におけるウイグル族の中国語教育、学習の現状について費燕
中国少数民族地域の民族教育政策と民族教育の問題 ―内モンゴル自治区の民族教育を中心に―哈斯額尓敦
中国における少数民族教育の現状 ―「内モンゴル自治区の民族教育」をめぐって―ナンディン
中国における多民族・多文化共生の発展動向郭潔敏
中国少数民族の人口研究序説若林敬子
中国少数民族地域における都市化と社会変動 ──新疆ウイグル自治区カシュガル市の事例を中心にアナトラ・グリジャナティ
多民族国家としての中華人民共和国儀我壮一郎
中国少数民族と人権問題佐々木信彰
中国モンゴル民族学校教育とアイデンティティに関する研究烏力更
中国共産党政権下における宗教 -宗教政策を中心として-関口泰由
習近平政権と中国の政治権力構造小嶋華津子
中国の民族区域自治法律制度および散居少数民族権益保障法律制度の概要と諸問題小林正典
中国における「国民教育」と「少数民族教育」の相克 ―中国朝鮮族学校における教育課程に着目して―尹貞姫
中国朝鮮族の民族語に対する言語意識からみるアイデンティティの考察 ――延辺大学における質問表調査を通して趙南実
中国の人口抑制政策と少数民族 ―雲南省ジノ族村落の人口変化―阿部卓
中国延辺朝鮮族自治州での少数民族政策李文哲
日本における中国イ族の神話・民話に関する研究趙蕤
中国における法治の現状――少数民族慣習法と司法に関して周世中[ほか]『西南地区での司法判断中の民族慣習法の適用に関する研究』を読む高橋孝治
中国雲南省のチノー族における社会変動と民族文化横山廣子
中国北方民族オロチョンの民族イベントにおける「伝統」意識 ――建旗 60 周年記念大会を事例に――坂部晶子
中国少数民族の自治と習慣法 ―悠久、雄大、多様の大地へ-西村幸次郎
エスニック・シンボルの創成 : 西南中国の少数民族トン族の事例から(<特集>東南アジア大陸部における民族間関係と「地域」の生成)兼重努
雲南少数民族におけるキリスト教の民族教育史的位置斧原孝守
毛沢東から胡錦濤時期における中国共産党の宗教政策とチベット政策川田進
「少数民族」から「国民」への道程王柯
人口センサスに基づく中国の少数民族の比較研究呂昭河,晏月平,徐暁勇
新疆ウイグルと中国政治新免康
ウイグル民族アイデンティティと民考漢の将来藤山正二郎
中国における差異の政治と民主主義 ――新疆「民族問題」の経験が示唆するもの――小嶋祐輔
新疆ウイグル自治区の漢語教育に見る言語とアイデンティティの関係新井凛子,大谷順子

中国西南民族史

第1回 雲南省とその民族の概況
スライド01
配布資料01
第2回 秦漢~魏晋南朝: 西南夷の「発見」と南中社会の成立1
スライド02
配布資料02
第3回 秦漢~魏晋南朝: 西南夷の「発見」と南中社会の成立2
スライド03
配布資料03
第4回 秦漢~魏晋南朝: 西南夷の「発見」と南中社会の成立3
スライド04
配布資料04
第5回 秦漢~魏晋南朝: 西南夷の「発見」と南中社会の成立4
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配布資料05
第6回 隋唐の雲南経営と西南民族1
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第7回 隋唐の雲南経営と西南民族2
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配布資料05
第8回 唐代雲南の烏蛮と白蛮
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第9回 南詔国による雲南統一1
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第10回 南詔国による雲南統一2
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第11回 南詔国による雲南統一3
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配布資料05
第12回 南詔国後期の対外関係1
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配布資料05
第13回 南詔国後期の対外関係2
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配布資料05
第14回 南詔国の滅亡
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配布資料05

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