日本においても平安海進の影響は大きく、特に縄文海進の時にも大規模な海進が生じた関東地方ではそれが顕著であった。
例えば、戸籍の一部が残されていることで知られている下総国葛飾郡大嶋郷は現在の東京都葛飾区及び江戸川区の太日川(江戸川)の自然堤防及びその周辺にあったと推定され、現地では大嶋郷の集落の一部とみられる遺跡(葛飾区の新宿町遺跡など)が発見されているが、8世紀まで順調に発展してきた集落が9世紀に入ると突然姿を消している。
それを裏付けるかのように承平年間に著された和名類聚抄ja.wikipediaの郷名の一覧からは大嶋郷の名前は姿を消している。こうした変化は海進によって現在の東京低地(東京都の下町地域の低地)への大規模な海水の浸水・荒廃化をもたらしたことが原因と考えられ、また周辺地域の陸路・水路の交通路や交易圏の動向にも大きな影響を与えたと考えられている。
【参考資料】 田中広明「古代集落の再編と終焉」
(所収:浅野晴樹・齋藤慎一 編『中世東国の世界 1北関東』(2003年、高志書店) ISBN 978-4-906641-75-8)