闔閭は孫武と伍子胥を左右の将として軍を発し、呉と楚の両軍は漢水の河畔・柏挙で会戦する。
【始計篇】
孫子曰:兵者國之大事,死生之地,存亡之道,不可不察也。
孫子曰く:兵は国の大事,死生の地,存亡の道,察せざるべからざるなり。
【軍争篇】
迂直之計
軍爭之難者,以迂為直,以患為利。故迂其途,而誘之以利,後人發,先人至,此知迂直之計者也。故軍爭為利,軍爭為危。
軍争の難きは、迂以てを直と為し、患を以て利と為す。故に其の途を迂にしてこれを誘うに利を以てし、人に後れて発して人に先きんじて至る。此れ迂直の計を知る者なり。軍争は利たり、軍争は危たり。
正々堂々
無邀正正之旗,勿擊堂堂之陣(=陳),此治變者也;
正々の旗を邀うること無く、堂々の陣(=陳)を撃つこと勿し、これ変を治むる者なり
【九地篇】
死地
孫子曰:用兵之法,有散地,有輕地,有爭地,有交地,有衢地,有重地,有圮地,有圍地,有死地。
孫子曰く、用兵の法には、散地あり、軽地あり、争地あり、交地あり、衢地あり、重地あり、圮地あり、囲地あり、死地あり。
呉越同舟
「故善用兵者,譬如率然;率然者,常山之蛇也,擊其首,則尾至,擊其尾,則首至,擊其中,則首尾俱至。
敢問:「兵可使如率然乎」曰:「可。」夫吳人與越人相惡也,當其同舟濟而遇風,其相救也如左右手。
………
故善用兵者,攜手若使一人,不得已也。 or 故善用兵者,攜手若使,一人不得已也。
「使」と「一」は、誤倒か?
故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。率然とは常山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、
其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。
敢えて問う、兵は率然の如くならしむべきか。曰わく可なり。
夫れ呉人と越人との相い悪むや、其の舟を同じくして済りて風に遇うに当たりては、其の相い救うや左右の手の如し。
………
故に善く兵を用うる者は、手を攜うるが若くにして一なるは、人をして已むを得ざらしむるなり。
『孫子』 / 中國哲學書電子化計劃
新訂 孫子 2010年7月 岩波書店 金谷治訳注
『孫子』の結論 【火攻篇】
夫戰勝攻取,而不修其攻者凶,命曰費留。故曰:明主慮之,良將修之,非利不動,非得不用,非危不戰。主不可以怒而興師,將不可以慍而致戰;合于利而動,不合于利而止。怒可以復喜,慍可以復悅,亡國不可以復存,死者不可以復生。故明君慎之,良將警之,此安國全軍之道也。
夫れ戦勝攻取して,其の功を修めざる者は凶,命けて費留と曰う。故に曰く:明主はこれを慮り,良将はこれを修め,利に非ざれば動かず,得るに非ざれば用いず,危うきに非ざれば戦わず。主は怒りを以って師を興こすべからず,将は慍りを以って戦いを致すべからず;利に合えば而ち動き,利に合わざれば而ち止まる。怒りは復た喜ぶべく,慍りは復た悦ぶべきも,亡国は復た存すべからず,死者は復た生くべからず。故に明主はこれを慎み,良将はこれを警む,此れ国を安んじ軍を全うするの道なり。
※ 費留 : 費用が留まる・無駄遣い・骨折り損の草臥れ儲け…
山東省臨沂県銀雀山漢墓群で1972年4月に発掘された竹簡群の総称である。『竹簡孫子』(『孫子』13篇と『孫臏兵法』)・『六韜』・『尉繚子』が発掘された。
【参考文献】
『韓非子』五蠹篇に「藏孫・吳之書者家有之。(『孫子』・『呉子』の兵法は家々で所蔵されている。)」との記述があり、戦国時代末期にはすでに流布していたと思われます。
現在伝わっている『孫子』のテキストには「武経七書」と「十(十一)家注」の二つの系統があり、篇名や文字にやや異同があります。しかし、いずれも『魏武帝注孫子』をもとにしているといわれています。この注は現存する最古の注釈でもあり、三国時代の魏武帝(曹操)が注をつけたものです。『隋書』経籍志に「孫子兵法二卷 吳將孫武撰、魏武帝注。梁三卷。」と記録されています。現存する本としては、宋版をもとにしたとい