武経七書

武経七書
六韜
三略
孫子
《兵家》孫臏
呉子
司馬法
尉繚子
李衛公問対
八陣合変図説
兵法書の名言

銀雀山漢簡

1972年4月、中国山東省南東の臨沂県に位置する銀雀山1号墓と銀雀山2号墓が発見され、1号墓の内部からは古代のものと見られる遺物が大量に発見された。
発見された『竹簡孫子』は、他の遺物によって紀元前134年から紀元前118年のものと推定されている。
孫臏と孫武のどちらかの著作が曖昧だった『孫臏兵法』も発見され、これが孫臏の著作と推定される決定的な証拠となった。
『六韜』は、『竹簡孫子』と共に銀雀山墓で墓の内部から発見された、この出土によって、紀元前2世紀頃に成立していたと考えられるようになった。
同じく写本が発見され、戦国時代から秦代に成立したと見られるようになった。写本と後代に伝えられたものを比べると、かなりの加筆がされていることが判明している。
【参考文献】

孫子兵法発掘物語』 (原題『遭遇兵聖』) 岳南著 加藤優子訳 浅野裕一解説  2006年 岩波書店

「漢墓は発掘後,出土した『孫子兵法』などの文物は省都済南や首都北京に運ばれ,考古学者が一,二号墓と名付けた墓坑はすべて埋め戻され,風水がすばらしいその場所にはおかしな建物が出現している.あたり一帯には,一,二号墓以外にも,百基近い漢代の墓があったが,それらもやたらと掘り返され,見るも無残な姿を呈している.」 …… 岳南


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